NYC/PDX の視察を終えて 2016.06.13
海外に視察に行くとデザインにおける発見も気づきも多い。新しいデザインや流行はもちろんのこと、綺麗な装飾、圧倒されるスケール感、こだわりを感じるディテール、斬新なレイアウト、今まで見たことの無いような売り方やディスプレイ、グラフィックデザイン . . . . 挙げれば切りがない。
今回行ったニューヨークとボートランドの視察でも当然、日本とは異なる環境や文化で生まれる店舗デザインや建築、グラフィックデザインやアートを見る中で多くの驚きや感動を受けて帰ってくる、そう思っていたし、期待もしていた。
でも、今回はそれらどれを見ていてもそれほど心躍らなかったし、感動していない自分がいた。どこか冷めた気持ちでそれらを見ている自分。それはなんだろうか?なぜだろうか?と気持ちが動かない自分を視察中に歯がゆくも感じたし、日本に帰って来てからもその理由を何度か考えてもみた。
でも冷静に考えてみると、その理由は実はとてもシンプルだ。その二都市を見て回った目的がもともとそこではなかったのだから。
そもそも自分は表面的なデザイン自体には最近、随分興味を失っているように思う。こう書くと語弊が有るのかもしれないけど、今の自分はデザインそのものより、デザインの力を利用すべき対象をもっときちんと掘り下げたいと思っている。
もともと2〜3年前に日本で流行したポートランドに今頃行ったのも、またニューヨークに行った際にブルックリンに立ち寄ることを切望したのも、商業施設だけでなくエコビレッジやファーマーズマーケットを覗いて回ったのも、早朝の街を何時間も歩き回ったのも、ただ商業施設の新しいデザインを見たくて行った訳ではなかったから。むしろデザイン自体は今回の視察において二の次だった。
感じたかったのはもっと深い部分、そこに住む人々の根底にある意識や価値観の変化。今日本に欠けている「何か」、これからを生きる人間として意識すべき「何か」、もしくは既に自分の中で感じているいくつかの疑問や違和感への「答え」や「確信」でも良かった。そういったものを肌で感じたかったから行ったんだ。
ただ、それは至極当然なことかもしれないのだけれど、この短期間で感じ取れるだけの自分ではなかった。約一週間、一緒に視察に同行してくれた仕事仲間の車に乗せてもらって回って見るだけで、そんな深い部分まで分かるはずもなかったのかもしれない。生活してみないと分からないのかもしれないとも思う。
それでもせめて願うのは、今は自分では気づけていないけれど、自分の中に小さくも何か「種」や「菌」のようにほんの微量の「何か」が今回の視察の中で宿ってくれていること。数年後にふとしたきっかけで何かに気づくことでもいい。今後のそんな自分に今は期待するしかない。
そしてもう一言加えさせていただくと、今回この二都市を一緒に視察して回ってくれた三人(CASCADE 谷本氏、Strate 梁瀬氏、acca 袴田氏)には感謝の言葉しかない。ありがとうございました。